私のトリセツ哲学

アラフィフの日常備忘録。舞踊と食と働き方の変容実験中。

好きなことがわからないときに。

仕事を辞めたいけど、その先何したいかは決まっていない。

でも今の仕事を卒業して違う世界を見てみたい!

とか。

将来なりたい職業が分からない。

とか。

あるあるな気がする。

具体的なチャレンジしてみたい仕事だったり、職業だったり

ビジョンが見えてこないことって普通にある。

 

でもよく考えてみると、それって仕事の内容以前に、

自分自身の在り方とか働き方を変えたいということだったりすることもある。

 

 

 

 

どんな自分なりたいの?

どんな自分で在りたいの?

 

これが出てこない人はあまりいないんじゃないかなぁ。

 

一般的には、次の道がちゃんと決まってから退職したほうがいいよ、と言われるのだけど

どんな自分でいたいのか?がきちんとわかっていれば、

仕事を辞めてもいいような気がする。

 

逆にそれさえもわからないという場合は、転職や退職はいまのタイミングではないのかもしれない。

 

なんて思う10月初め。。

童心を忘れちゃいけない

 どんなに年齢を重ねたって、童心を忘れてはいけないなぁと、最近改めて思う。

 

 ワクワクしたり、ときめいたり、大人だって、

そういう視点で物事に向き合っていきたい。

 

目は口程に物を言うと言うけれど、目が死んでいる人というのは、なんとなくわかる。

 

キラキラしていなかったり、目から活力がない

エネルギーがないというかww

 

瞳は、目の中に童(わらべ)と書くように、童心を忘れていない人の目は

瞳なのだな。

 

 

毎朝、身の程を認識する

朝起きて、まず身の程を認識することから始める。

3か月前から意識的にやり始めたこと。

 

 

 

 

仕事を辞めて心に余裕ができたから出来るようになったのか、

舞踊やボディコンディショニングを集中的にやり始めてそういう方向になったのか、

いまだに自分でもわからない。

でも、これ、するのとしないのとでは全く違う。

自分が今どのポジションに位置しているのかを把握するって、

その位置が居心地が悪ければ、どうすればいいのかを考えられるし

少しでも毎日ベストな状態でいられる気がする。

 

朝、毎日身体を見て現状把握

顔を見て現状把握

身体を動かしてみて現状把握

感情を感じてみて現状把握

内臓の調子を感じてみて現状把握

今日することをイメージしてみてどう感じるかを現状把握

 

今のコンディションを知れば、

違和感を感じていれば、そこの調整をすればいい。

 

そんなことしていると、本当に楽に生きられる気がしてきた。

 

 

雨合羽をあなたに掛けてあげるー飴とムチ

お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」

 

沢山ある気がしますが、つい最近まで勘違いしていたやつをメモります。

 

幼少期は昭和アイドル全盛期。

聖子ちゃん派か?明菜ちゃん派か?で2極化していた時代を過ごしておりました。

 

私は聖子ちゃん派。だった。

でも明菜ちゃんの歌も大好きで、テレビ番組を見ては歌を丸暗記していました。

 

時が過ぎて、ここ数年、突如私の中で明菜ブームが到来ww

聖子ちゃん、裏切ってゴメーン!!

でも、今は明菜なの、、 明菜ちゃんのあの少女なのに、なぜか醸す大人の色気とか、衣装とか、ウン10年の時を経て、私の中でムーブメントが起きているww

 

それで、本題に戻るのですが。

 

名曲「十戒(1984)」の歌詞。

この前Youtubeで見ながらサビに突入し、一緒に口ずさんで字幕を見たら、、

 

正:「発破かけたげる さあカタつけてよ♪」

 

あれ、、めちゃくちゃ間違ってる私の記憶。

 

ワタクシ:「カッパ掛けたげる。さあ肩出しなよ♪」

 

完全に間違っているやん!今更気付きました。

 

雨合羽(レインコート)をあなたにかけてあげるから、肩を出してちょうだい、

という、

ツンデレ系女子の飴と鞭的な要素を盛り込んだ歌詞かと思っていたわけです。。

 

一番最初の歌いだしで、

「愚図ね、格好つけているだけで」と言っている割には、

優しいじゃんと思っていた。(笑)

 

明菜ちゃん、復活待ってる。

 

隠しきれないもの

舞踊を通して、舞台に上がったり、パフォーマンスをする機会をいただく中で、「表現」というものについて向き合わせてもらっている。

 

最近思うのは、表現者というのは、才能あるアーティストだけではなく、この世界の命あるもの全て、もちろん人間も、誰しもが唯一無二の表現者なのではないかなぁ、とふと思う。

 

人は表現するために生まれてきた、といってもいいのかもしれない(自論(笑))

 

おもてにあらわす

その人の醸す雰囲気とか、話した時の感じとか、、

 

どんな土地で生まれ育って、何を食べてどんな環境で生活して、どんな人とこれまでかかわってきたのかが、表に現われる。

土着したものが内側にちゃんとあって、それが無意識的に出ている気がする。

どんな人も。。

表に「現わされてしまう」と言い換えてもいいのかもしれない。

 

人となりというものは、隠せないように思う。

見る人が見れば、わかってしまう。

そして隠そうと思えば思うほど、わざとらしく、違和感を感じる「表現」となって表に現れる。

 

だから、そのままの自分でいいのだ。

隠したって、誰かをまねたって、他人様からみれば、逆にわざとらしく違和感満載なのだからw。

 

日々、そのままのナチュラルな自分であり続けることが一番違和感がない。

そして、それは唯一無二の個性であり、誰にも真似できない表現となるんだろうなぁ。

 

着飾らず裏表なくそのままであり続けられる人というのは、個性が光るから、美しいのだろう。