私のトリセツ哲学

アラフィフの日常備忘録。舞踊と食と働き方の変容実験中。

変わるということ

世の中の状況や人々が加速して変化しているのを本当に最近感じまくっている。

スピ系では決してないのだけど、

そこまで敏感ではなかった私でも、この10年くらいを振り返ってみると、

あー、これは大変革が起きていたんだなぁ、と思う事柄が思い出される。

 

かなりマクロで感覚的かつ大雑把なイメージで捉えると、

AとBの2極化というところなのかもしれない。

 

周りの人たちを見ていても、やっぱりそうだな!と思うところがあるので、メモがてら書き残しておこう。

 

自分の捉えた感覚だと、3.11あたりから少しずつ

これまで「Aの世界」で生きてきた人が、「Bの世界」に移動している。

そしてここ数年でそれがかなり加速し始めて

AからBの世界に多くの人が大移動し始めている。

 

このAとBの世界の中で今3つに分類できる状況になっていると分析。

 

①Aの世界に住んでいて、特に何も気づいていない人

②Aの世界に住んでいるけど、Bという世界があることを知っている人

③Bの世界に住んでいる人

 

②の「Aの世界に住んでいるけど、Bという世界があることを知っている人」というのが今私の周りには沢山いる気がしてならない。

 

そしてこの②の状態をもっと分けると

②-1:Bという世界があるのは知っているけどBに行くべきではないと思っている

②-2:Bの世界に行きたいけどどうしたらいいのかわからない

 

こんな感じな気がする。

②-2の人達は、かなり焦っているよね。

 

あの人もこの人もどんどん変わっていって、気付いたら自分だけ違うところにいて、

なんか楽しそうだし、Bに行きたいけどどうしたらいいのかわからない、ともがいている感じ?

 

長くなりそうなので、次回続きは次回以降に。

 

 

 

 

 

 

ドラマチックが止まらない

頭の中であれこれ考えていても、行動が伴わなければ、

いつまでもドラマは始まらないね。

 

とりあえず、何でもいいから動いてみよう。

 

動けばドラマがスタートする。

 

 

動けばドラマは始まる。

 

流れるままに

今日も一筆書きで流れに乗って生きていこう。

 

一筆書きの人生

一筆書きで生きてみよう

無駄な抵抗を辞めてみる。

抗うことを辞めてみる。サレンダーとかそういう言い方もあるみたいね。

来たものは全部受け入れて、流す。

食べたらトイレで出すのと同じ。(笑)

トイレ行きたいのに抗うなんて相当ドSだ。

生き方もそれと同じかもね。

 

これをやり始めて、すごく楽になった。

人生は不確実なことが沢山。

不確実性を今日も楽しもう。

 

トキメくか?トキメかないか?

トキメキやワクワクは、人生の方向指示器。

AかBかCかと迷ったときは、トキメくかどうかでジャッジしてみるといいのかもしれないね。

 

 

そこにトキメキはありますか?

 

価値観は変わるもの

価値観が合う人を、とか巷でいわれるけども、

価値観は見たことがない世界を新たに経験したり、体験すれば、変わるものであり、

普遍ではないものだと思う。

 

今、お互いの価値観が似ていても、未来永劫同じなんてことはない。

 

人間は、色んな知らない世界を見たり体験して変化していく生き物だから。

 

逆にずっと価値観が変わらない人がいたとしたら、かなり視野が限定されてしまっている人かもしれない。

 

だから、価値観が合う人が良いと思って、

パートナーに選んだり、友達になったりするよりも、

価値観は違うけどお互いの価値観を尊重しようと勤められる人が周りに沢山いるといいな。

 

みんな違ってそれでいいのだ。

好きなことや、やりたいことが見つからない

先日、50代の人と話をしていて

好きなことや、やりたいことが見つからない、という話を聞いた。

 

あー、わたしもずっとそうだったよ、と共感。

 

ちょっとしたご縁で、学生さんたちの就職支援をすることが年に1回あり、このやりたいことがわからない現象は、10代後半や20代前半の悩みベスト5に入るくらい多いけど。。

大人になってもやはりこういうことはあるものよね。

そして大人になってのこの悩みはなかなか厄介なものになる。立場や環境、背負っているものがそれぞれあるからね。

 

そこまで悩む必要もない気もするんだけど、当事者にとってはいまの現状は嫌、だからどうにかして突破口を見つけたい、と思っているのかもしれない。

 

自分の経験上、大人になってこの状態になっているのにはいくつか原因があると分析している。(わたしが考えられるパターン)

 

①頭がパンパンで思考に余裕がない

②ある意味、自立できていない

③出来ない理由ばかり考える

 

①はもうこの社会構造上、思考を停止させられているというか、毎日、仕事して帰宅して、育児をし、家事をし、気付いたら寝る時間。

明日の朝はお弁当を作らなければならないとか、会議の資料を作るの忘れたからやらないといけない、とか。

とにかく圧倒的に頭と心の中に隙間が生まれない時間を過ごしていると、こうなるんじゃないかな。(実体験)

あれ?自分、何したいんだった?って、ふと我に返る時があったりとか。

 

頭の中や心に隙間がない状態っていうのは、本当は人間の創造する力を奪ってしまうものなのかもしれない。

それって、人間として生まれてきているのに、非常にもったいない気がしてならない。

本来、人間は思考と感性を使ってクリエイトし、自分を表現する生き物なのに。

 

でも、これって社会構造がそうなっているから、頭に余裕持たせるのは本当にハードル高いのだと思う。

わたしは、いったんそういう働き方を手放して、頭と心ににだいぶ隙間ができて、創造的なことを考えられる時間ができた気がする。

そうはいかない環境の場合は、なかなか難しい。

でも、本当に好きなことを見つけたいなら、かなり長めのお休みを取って、旅に出たり、家事育児を外部委託したりして、時間を作るとか、

仕事がめいっぱいなら、なんなら思い切ってやめてしまうとか、あえてそういう頭と心に隙間ができる時間を作らないと、ずーっと頭が混乱状態で、何も入ってこない気がしてならない。

本気で好きなことを見つけるならば、、の話だけど。

 

②の自立できていないっていうのは、自分の人生を生きていないのかもしれない。

わたし達は、誰かには決してなれない。

どんなに理想を思い描いていても、憧れの〇〇さんのようにはなれない。

わたしはわたしでしかない。あなたはあなたでしかない。

誰かに言われたから何かするとか、誰かに背中を押されないと行動できないとか、

誰かの影響を受けていつも真似をしているとか、

極端に度が過ぎると、そこに自分が居ない状況になっていく。

そうなると、自分は本当は何をしたくて何をしたくないのか?

ということもあいまいになっていくという現象。

もう他人と自分を比較してあれこれ考えるのをあきらめたほうがいい。

自分は自分でしかないし、他の誰かのようにはなれないのだから。

あきらめて初めて、自立ができるということもあるのだと思う。

他人軸で物事を考えている間は、自分が本当に何をしたいのかがわからないという状況に陥るケースがある気がしてならない。

あとは、興味を持つ範囲や行動範囲が自立していないと限られてきて、そもそも体験や経験が少ないから、これが自分にフィットして、これは合わないというジャッジができないということもあるのかもしれない。

 

 

③できない理由を探しまくって考えている

これがないから出来ない、お金がかかるから無理、資格を取る時間がない、あのツールを買わないとできない、とか。。

ちょっとやってみたいな、という気持ちが沸き上がって盛り上がっている時にこういうのって出てくるのよね。

自分で出来ない理由を探して、ほら、やっぱり無理なんだよねー。今は。

でもいつか(絶対来ないいつか(笑))その問題が解決したら取り組もう。みたいなやつ。

 

わたしも何度となく出来ない理由を探しまくってきたし、今もそういう時がたまにある。

これは、もう出来ない理由が出てきて、ストップかかる程度のことなら、今はその時期ではない、ってことだ、と割り切ることにした。

本当にやりたいことだったら、頭で考える前に行動に移すはずだ。

 

③はぼやっとでもチャレンジたいことがある場合だからまだ良いけど、問題は①と②だ。

 

大人になりすぎてしまうと、どうしても自分のことは二の次にしてしまい、自分を忘れ去っていってしまう。

どこかで取り戻すには、やっぱり考えたり、感じる時間が必要なんだろうなぁ。

無限ループ。。

 

ちょっとアホになった方がいいのかもしれない。