私のトリセツ哲学

アラフィフの日常備忘録。舞踊と食と働き方の変容実験中。

隠しきれないもの

舞踊を通して、舞台に上がったり、パフォーマンスをする機会をいただく中で、「表現」というものについて向き合わせてもらっている。

 

最近思うのは、表現者というのは、才能あるアーティストだけではなく、この世界の命あるもの全て、もちろん人間も、誰しもが唯一無二の表現者なのではないかなぁ、とふと思う。

 

人は表現するために生まれてきた、といってもいいのかもしれない(自論(笑))

 

おもてにあらわす

その人の醸す雰囲気とか、話した時の感じとか、、

 

どんな土地で生まれ育って、何を食べてどんな環境で生活して、どんな人とこれまでかかわってきたのかが、表に現われる。

土着したものが内側にちゃんとあって、それが無意識的に出ている気がする。

どんな人も。。

表に「現わされてしまう」と言い換えてもいいのかもしれない。

 

人となりというものは、隠せないように思う。

見る人が見れば、わかってしまう。

そして隠そうと思えば思うほど、わざとらしく、違和感を感じる「表現」となって表に現れる。

 

だから、そのままの自分でいいのだ。

隠したって、誰かをまねたって、他人様からみれば、逆にわざとらしく違和感満載なのだからw。

 

日々、そのままのナチュラルな自分であり続けることが一番違和感がない。

そして、それは唯一無二の個性であり、誰にも真似できない表現となるんだろうなぁ。

 

着飾らず裏表なくそのままであり続けられる人というのは、個性が光るから、美しいのだろう。